武田の城。炎上!!。
はい。すみません。ただの焚き火です。竹の枝とか燃やしました。タイトルを格好よくしたくて、炎上って書きました。ごめんなさい。最近若いお姉さん達が戦国武将ブームらしいので、意識しました。
城がどこって?何をおっしゃる。お客さん。心の目を開けば、ほら!お城が見えてくる。
はい。すみません。ちゃんと、説明しますー。この城は鎌倉時代のもの。そう。まずは、鎌倉時代そのものを説明しましょう。学校で習った鎌倉時代武士の時代。そこに問題があるのです。鎌倉時代も京都に朝廷は存在しました。日本の政治の中心は京都の朝廷です。では、鎌倉幕府は何だったのか?鎌倉幕府とは、関東の武士連合が勝ち取った独立自治国家だったのです。元々関東の武士達には、自分たちが開墾した土地がなんで京都の管理下なのかという不満があり、平将門が立ち上がったりしたのですが、京都に潰されてきたのです。源氏が京都側の平家を打つという形で、関東武士は関東の独立自治を勝ち取ったのです。ちなみに、なぜ義経が頼朝に打たれたか?その理由は、義経が京都の朝廷から褒美と役職をもらったのが原因だそうです。独立を勝ち取ろうという相手から、雇われちゃったらまずいっしょ。です。
関東武士の独立国家だった頃の千葉には、武田や上杉などが居たそうな。ちなみに信玄の祖先はその時の将軍様が”二男のおまえは山梨に行くニダ。”ということで、山梨に行ったそうです。長男筋の武田家は千葉に居たのですが、隣の村と揉め事があったりすると、山に登り、この城。というか砦にこもって、戦ったのです。この頃の最大の武器は石とかを投げる。でしたから。高い所にこもるというのは、最高の作戦だったのです。たぶん。
去年読んだ本と聞いた話を適当につないで書きました。ウソもいっぱい入ってますが、まあ、見に来てねー。(木村カエラ風。)巨木のすぐ近くです。 ではでは うえだでした。
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